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2026年10月 鳥羽山洞門|明治32年の煉瓦トンネルと天竜川舟運の歴史を歩く

18.二俣本町駅
静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門
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2026年10月22日、天竜浜名湖鉄道の二俣本町駅から天竜川方面へ歩きました。

今回の目的の一つが、鳥羽山の下を貫く鳥羽山洞門です。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

明治32年(1899年)完成。

今から120年以上前に造られた、煉瓦造の道路トンネルです。

現在も道路として使われていて、自動車も通行します。

入口の煉瓦。

内部に残る煉瓦のアーチ。

暗いトンネルの先に見える明るい出口。

実際に歩いてみると、単なる「古いトンネル」というより、

明治時代の道を、今もそのまま通れる場所

という印象でした。

さらに西側へ抜けると、天竜川舟運で栄えた北鹿島の一角へ出ます。

そこには筏問屋だった旧田代家住宅や、船頭・筏師たちが利用した船宿も残っています。

鳥羽山洞門を歩くことで、

二俣の町
↓
鳥羽山
↓
北鹿島
↓
天竜川

という、かつての人と物流の流れが少し見えてきます。

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鳥羽山洞門の概要

鳥羽山洞門は、浜松市天竜区二俣町二俣と鹿島の間にあります。

筏問屋 旧田代家住宅

鳥羽山洞門

最寄りの天浜線駅は二俣本町駅です。

天竜浜名湖鉄道 二俣本町 駅舎

浜松市の資料によると、

  • 完成:明治32年(1899年)
  • 延長:約137.8m
  • 幅:約3.7m
  • 高さ:約3.8m
  • 構造:煉瓦造

の道路トンネルです。

浜松市の近代化遺産にも認定されています。

現在も道路として利用されており、歩行者用の通路も設けられています。

道路幅は広くありません。

自動車は一方通行になっているため、現地の標識に従って通行します。

二俣西街道の難所だった鳥羽山

浜松から二俣方面へ向かう道は、古くから二俣西街道と呼ばれていました。

しかし、このルートには大きな難所がありました。

一つは天竜川。

もう一つが鳥羽山です。

鳥羽山を越えるには峠越えが必要で、地域の人々にとって大きな負担になっていました。

その難所を解消するために造られたのが鳥羽山洞門です。

明治32年、街道整備事業の一環として煉瓦造トンネルが開通しました。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

 

今では短い旧道のトンネルに見えます。

しかし当時は、

「山を越えなくても二俣と鹿島を行き来できる」

という、大きな交通改善だったはずです。

美しく残る煉瓦の坑口

鳥羽山洞門でまず目を引くのが、入口の煉瓦です。

アーチを描く煉瓦積み。

坑口周囲の煉瓦壁。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

山の斜面に埋め込まれるように造られた姿。

明治期のトンネルらしい雰囲気がよく残っています。

現在の道路トンネルでは、入口の大部分がコンクリートで構成されることが多いため、煉瓦そのものが外観の主役になっている鳥羽山洞門はかなり印象的です。

長い年月の間に補修された部分もあるように見えますが、基本的な姿はよく保たれています。

内部も煉瓦の構造が残る

トンネルへ入ると、内部にも煉瓦造の構造が残っています。

入口だけが煉瓦なのではありません。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

アーチ状の断面が奥まで続き、明治時代のトンネルであることを感じられます。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

現在は安全に通行できるよう補強や設備が加えられています。

照明もあり、歩道も設けられています。

それでも、視線を上へ向ければ古いトンネルの形が分かります。

内部から入口を見ると、暗い煉瓦の空間の先に明るい外の景色が見えます。

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

撮影場所としても印象的です。

現在の鳥羽山隧道ができるまでのメインルート

鳥羽山洞門の西側には、現在の国道152号が通る鳥羽山隧道があります。

こちらは昭和17年(1942年)完成。

昭和12年(1937年)に鹿島橋が開通したあと、橋から二俣方面へ直線的につながる道路が計画され、新しい鳥羽山隧道が造られました。

新しいトンネルが完成するまで、鳥羽山洞門は二俣へ向かう主要道路でした。

つまり、

1899年 鳥羽山洞門
↓
1937年 鹿島橋
↓
1942年 鳥羽山隧道

という順番で、二俣と鹿島を結ぶ道路が近代化されていったことになります。

新しい鳥羽山隧道の完成後、鳥羽山洞門を通る道は旧道になりました。

そのため現在は交通量も少なく、明治のトンネルを比較的ゆっくり見ることができます。

さらに古い道があったのか

鳥羽山洞門を調べていて、もう一つ気になっていることがあります。

現在の洞門より東側に、さらに古いトンネル、あるいは切通のような道が存在したという話です。

もし事実なら、鳥羽山越えの道は、

古い峠道・切通
↓
明治32年の鳥羽山洞門
↓
昭和17年の鳥羽山隧道

と、段階的に改良されてきたことになります。

「今昔マップ on the web」によると、1889年から1890年(明治22年から23年)の地図に、古い峠道とトンネルのような記載が見られます。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

 

西側へ抜けると天竜川舟運の町

鳥羽山洞門を西側へ抜けると、景色が変わります。

この一帯は北鹿島。

かつて天竜川の舟運・筏流しで栄えた場所です。

天竜川上流から運ばれてきた木材は、筏に組まれて川を下ってきました。

その物流を支えた家の一つが田代家です。

筏問屋 旧田代家住宅

田代家は天竜川舟運の受け継ぎ問屋を営み、北鹿島村の名主や渡船場にも関わっていました。

鳥羽山洞門は、

二俣の町と、天竜川の物流拠点である鹿島を結ぶ道路

としても重要だったと考えると、その役割がより分かりやすくなります。

筏問屋・旧田代家住宅

鳥羽山洞門から天竜川方向へ進むと、旧田代家住宅があります。

筏問屋 旧田代家住宅

主屋は安政6年(1859年)建築。

国の登録有形文化財です。

田代家は、天竜川舟運に関わる受け継ぎ問屋を営み、北鹿島村の名主や渡船場の船越頭も務めました。

現在の主屋は、天竜川舟運による繁栄を伝える大型民家として残されています。

今回訪れたのは平日。

筏問屋 旧田代家住宅

公開日は土・日・祝日を中心としているため、今回は外観だけを撮影しました。現在の浜松市案内では、通常は土・日・祝日の10時〜16時に公開され、12〜2月は日曜・祝日のみとなっています。

筏問屋 旧田代家住宅

次回は公開日に合わせて内部も見てみたいところです。

鹿島の船宿

旧田代家住宅の近くには、もう一つ古い建物があります。

鹿島の船宿です。

鹿島の船宿

浜松市の地域遺産に認定されており、田代家に隣接する建物です。

明治時代に筏師や船頭たちが宿泊・休憩する施設として使われていました。浜松市の歴史資料では、1887年頃の建築とされています。

鹿島の船宿

木造2階建。

1階には帳場や居間、2階は宿泊・休憩のための空間として使われたと考えられています。

鳥羽山洞門と年代も近く、

街道を通る人々と、天竜川を行き来する人々

の両方を感じられる建物です。

鳥羽山洞門と舟運を一緒に見る

鳥羽山洞門だけを見れば、

「明治時代の古い煉瓦トンネル」

です。

しかし、周辺まで歩くと意味が変わってきます。

東には二俣の町。

西には北鹿島。

さらにその先には天竜川。

北鹿島には筏問屋と船宿。

つまり鳥羽山洞門は、

町と川を結ぶ道の途中に造られたトンネル

でした。

天竜川を使って運ばれてきた人や物。

それを陸路で二俣へ運ぶ道。

鳥羽山は、その間に横たわる障害でした。

その障害を抜くために造られたのが、明治32年の鳥羽山洞門。

そう考えると、単なる土木遺産ではなく、地域の物流史の一部として見えてきます。

天浜線沿線として見た魅力

最寄りの天浜線駅は二俣本町駅です。

今回歩いたルートは、

二俣本町駅
↓
鳥羽山洞門
↓
旧田代家住宅
↓
鹿島の船宿
↓
天竜川橋梁

という流れでした。

このルートはかなり面白いと思います。

二俣の町から、

明治の道路トンネル。

天竜川舟運の建物。

そして昭和初期の天竜川橋梁。

と、交通の歴史が時代を変えながら続いていきます。

鉄道だけを見るのではなく、

道・川・鉄道

を一緒に見ることができる散策ルートです。

撮影スポットとしての見どころ

煉瓦の坑口

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

鳥羽山洞門を象徴する写真です。

少し正面から撮れば、煉瓦のアーチと暗い内部をまとめられます。

トンネル内部

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

奥の出口を画面中央に入れると、奥行きを強く出せます。

煉瓦のディテール

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

煉瓦の色、積み方、補修部分などを細かく記録するのも面白いです。

旧道としての雰囲気

静岡県浜松市天竜区二俣町 鳥羽山洞門

現在は交通量が少ないため、道路と坑口を少し広めに入れると「旧道のトンネル」らしさが出ます。

旧田代家住宅・船宿

筏問屋 旧田代家住宅

鳥羽山洞門から続く歴史散策として、建物の外観も一緒に残しておきたいところです。

歩いて感じたこと

鳥羽山洞門は、想像していた以上によく残っていました。

煉瓦の坑口。

内部のアーチ。

現在も続く道路。

120年以上前のトンネルなのに、過去の遺構というより、

今も普通に使われている道

です。

それが一番印象的でした。

そして西側へ抜けて旧田代家住宅や船宿を見ると、このトンネルがなぜ必要だったのかも少し分かってきます。

二俣と北鹿島。

町と天竜川。

陸路と舟運。

その間に鳥羽山があった。

トンネルは、その障害を取り除くためのインフラでした。

古い煉瓦トンネルがきれいだから見る。

それだけでも十分面白い場所です。

でも、周囲まで歩くと、

「なぜここに造られたのか」

まで見えてくる場所でした。

散策時の注意点

鳥羽山洞門は現在も道路として使われています。

交通量は多くありませんが、自動車が通ります。

歩行時・撮影時は、

  • 歩行者用通路を利用する
  • 車道中央で撮影しない
  • トンネル内では車の音に注意する
  • 坑口付近で長時間立ち止まらない
  • 煉瓦や壁面へ触れたり登ったりしない
  • 周辺の私有地へ入らない

といった点に注意します。

旧田代家住宅は公開日が決まっています。

内部を見学する場合は、浜松市の最新案内を確認してから訪れるのがおすすめです。

まとめ

浜松市天竜区に残る鳥羽山洞門。

明治32年(1899年)に完成した、延長約137.8mの煉瓦造トンネルです。

かつて浜松と二俣を結んだ二俣西街道。

その難所だった鳥羽山越えを解消するために造られました。

現在は昭和17年完成の鳥羽山隧道が主要ルートになり、鳥羽山洞門は旧道となっています。

しかし、トンネルは今も現役。

煉瓦造の美しい姿を残しながら、人や車が通っています。

さらに西へ歩けば、

旧田代家住宅。

鹿島の船宿。

そして天竜川。

そこには、天竜川舟運で栄えた北鹿島の歴史が残ります。

鳥羽山洞門は、

二俣の町と、天竜川の物流拠点をつないだ道

として見ると、さらに面白くなります。

明治の煉瓦トンネル。

幕末の筏問屋。

明治の船宿。

そしてその先の天竜川橋梁。

二俣本町駅から歩きながら、地域の交通史を時代ごとに追える散策ルートでした。

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