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2026年11月 敷地〜遠江一宮間の茶畑を歩く|1970年代の造成と暗渠になった磐田用水

13.遠江一宮駅
天竜浜名湖鉄道 磐田用水 山田暗渠
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2026年11月3日、天竜浜名湖鉄道の敷地駅と遠江一宮駅の間にある、袋井市山田の茶畑を歩きました。

天竜浜名湖鉄道 敷地 遠江一宮間の茶畑

天浜線を撮影している人なら、一度は目にしたことがあるかもしれません。

線路の東側。

なだらかな斜面いっぱいに茶畑が広がり、その中を天浜線が走ります。

反対側は水田。

そのため、

茶畑を背景に走る天浜線

 

だけでなく、

水田+天浜線+茶畑

という構図も作れます。

天竜浜名湖鉄道 袋井市山田付近 2026年8月撮影

天浜線沿線には掛川や磐田など茶どころが多く、茶畑そのものは珍しくありません。

それでも、ここまで車窓いっぱいに茶畑が広がる場所は意外に多くありません。

撮影地としては以前から気にいっている場所でした。

ただ、何度か見ているうちに、別のことが気になり始めました。

この茶畑、あまりにも整いすぎていないか。

天竜浜名湖鉄道 寺前踏切付近の茶畑

そして現地を歩くと、その下を磐田用水が暗渠で通っていることが分かりました。

そこから古い地図や航空写真を調べてみると、この風景が現在の姿になったのは、意外に新しい時代だった可能性が見えてきました。

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天浜線沿線でも印象的な茶畑

磐田用水橋梁(仮称)

袋井市山田 茶畑と水田

場所は、敷地駅と遠江一宮駅のほぼ中間付近。

袋井市山田です。

線路の東側には、緩やかな斜面が広がっています。

その斜面の大部分が茶畑です。

茶畑は線路とほぼ平行するように区画され、非常に整然と並んでいます。

線路西側には水田。

そのため撮影位置を変えると、

  • 茶畑を背景に列車
  • 茶畑の中を走るように見える列車
  • 水田を前景に、列車、その奥に茶畑
  • 広く農地全体を入れた沿線風景

など、かなり多彩な構図が作れます。

なぜ、こんなにきれいな斜面なのか

この場所を見ていて以前から気になっていたのが、斜面の形です。

自然の丘陵地に茶畑を作ったにしては、線路側から緩やかに立ち上がり、

斜面全体の形が非常に整っています。

天竜浜名湖鉄道 寺前踏切付近の茶畑

さらに茶畑の区画も、天浜線に沿うように並んでいます。

もちろん、農地なので人の手で整えられているのは当然です。

それでも、

「もともとこういう地形だったのだろうか」

という疑問が残りました。

そこで古い航空写真を確認してみました。

1960年代には茶畑ではなかった

国土地理院の古い航空写真を見ると、現在とはかなり景色が違います。

1961〜1969年

現在のような緩やかな茶畑斜面は、まだ確認できません。

出典:国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用

丘の近くまで水田が広がっています。

1974〜1978年

現在に近い斜面がすでに形成されています。

出典:国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用

茶畑と思われる農地が広がり、線路東側の地形も現在とよく似ています。

つまり航空写真から見ると、

1960年代から1970年代半ばまでの間に、大きな地形改変が行われた

可能性があります。

古地形図でも同じ変化が見える

今昔マップで古い地形図を見ても、ほぼ同じ傾向でした。

1956〜1959年

現在の茶畑斜面付近まで水田が広がっています。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

1975〜1988年

現在の斜面部分に、茶畑を示す記号が現れます。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

航空写真と地形図。

二つの資料から、

現在の茶畑は、少なくとも戦前から同じ姿だったわけではない

ことが分かります。

山を削って斜面を造成したのか

航空写真を見比べる限り、現在の茶畑は、

もともとの山裾を削り、

水田だった場所を含めて緩やかな斜面へ造成し、

その上を茶畑として整備したように見えます。

ただし、造成工事そのものの設計図や施工記録は、まだ確認できていません。

そのため、

「山を削って現在の斜面を造成したと考えられる」

という現地・航空写真からの推定です。

それでも、昔の水田と現在の斜面を見比べると、かなり大きな土地改変だったことが分かります。

茶畑の下を通る磐田用水

そして、この場所をさらに面白くしているのが磐田用水です。

現在、磐田用水は茶畑の斜面の下を暗渠で通っています。

斜面の反対側へ抜けると、再び地上へ現れます。

もともと磐田用水は、この丘をトンネル状に貫いていました。

出典:国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用 (赤線は筆者が追記)

しかし昔の地形では、丘の西側まで水田が広がっていたため、地下を通る距離は現在より短かったと考えられます。

現在では、丘の西側へ造成された斜面の下まで暗渠が延びています。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤線は筆者が追記)

つまり、

山の中だけを通っていた水路が、造成によって新しくできた斜面の地下まで伸びた

可能性があります。

暗渠入口に残る「昭和48年3月」

天浜線のすぐ脇にある暗渠入口を見ると、コンクリート部分に

昭和48年3月

という文字があります。

磐田用水 山田暗渠入り口

1973年3月です。

この数字を見たとき、

「なぜ1973年なのだろう」

と気になりました。

磐田用水そのものは、それよりずっと古い水路です。

磐田用水の基幹施設である社山隧道は昭和10年に完成し、昭和19年には天竜川からの通水が始まっています。

つまり、1973年は磐田用水そのものの建設年ではありません。

では、何の年代なのか。

1973年は磐田用水の大改修期だった

磐田用水では、1960年代後半から大規模な近代化が進められていました。

国営天竜川下流土地改良事業は、昭和42年度から昭和59年度、つまり1967〜1984年度に実施。

既存の磐田用水と浜名用水の改修に加え、新しい用水路や揚水施設が整備され、最終的には船明ダムから取水する現在の水利体系へ移行しました。

船明ダムそのものも1972年に着工し、1970年代を通じて用水体系の再編が進んでいます。

つまり、

暗渠に刻まれた1973年は、磐田用水が大規模に改修されていた時期の真っただ中

です。

茶畑造成と暗渠工事は同じ時期だったのか

ここで、年代を並べてみます。

航空写真

1961〜1969年
→ 現在の斜面はまだない

1974〜1978年
→ 現在に近い斜面が完成

暗渠

1973年3月

磐田用水

1967〜1984年度
→ 大規模な改修事業

これらを重ねると、

1970年代前半に茶畑造成と磐田用水暗渠の整備が行われた

という可能性がかなり気になります。

特に1973年という年代は、航空写真から推定できる造成時期の範囲内にぴったり入ります。

そのため、

  1. 山裾を削って斜面を造成
  2. 旧水田を含めて茶畑用地を整備
  3. 造成部分を通る磐田用水を暗渠化
  4. 現在の茶畑景観が形成

という流れだった可能性を考えています。

ただし、茶畑造成と暗渠工事が同一事業として施工されたことを示す資料は、現時点では確認できていません。

ここは今後の調査課題です。

天浜線をくぐった直後、用水が地面へ消える

現地で面白いのは、磐田用水と天浜線の位置関係です。

山側から流れてきた磐田用水は、天浜線の下を通ります。

そして橋を抜けた直後、

天竜浜名湖鉄道 磐田用水 山田暗渠

そのまま地面の中へ吸い込まれるように暗渠へ入っていきます。

鉄道橋。

開渠。

暗渠。

茶畑の斜面。

これらが非常に狭い範囲に集まっています。

現在の景色だけを見ると、

「なぜこんな場所で急に水路が地下へ入るのだろう」

と思います。

でも、造成前の地形を知ると、

「ここから先が後から作られた斜面だったからではないか」

という説明が見えてきます。

磐田用水を渡る天浜線のRC橋

磐田用水の上には、天浜線の小さなRC橋があります。

今回、橋そのものも詳しく観察しました。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水の橋

構造を見る限り、かなり古い橋に見えます。

二俣線建設時から残る可能性も考えていますが、銘板などで製造年を確認できていないため断定はできません。

橋の側面には、バラストを止めるためと思われるコンクリート板が並んでいます。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水 橋梁

しかし、そのうち数枚が欠損。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水 橋梁

一部には、

  • 木材
  • 周囲とは質感の違うコンクリート製と思われる部材

が差し込まれています。

長年使われる中で補修されたものと思われます。

古い鉄道橋と新しい暗渠が隣り合う

この場所では、

戦前から存在する可能性のある鉄道橋

と、

1973年と記された暗渠

が、ほんの数メートルの範囲に並んでいます。

ここがとても面白いところです。

鉄道は先に存在していた。

磐田用水も先に存在していた。

しかし1970年代に周囲の地形が変わった。

その結果、

古い鉄道橋をくぐった用水が、その直後に新しい暗渠へ入る

という現在の構造になった可能性があります。

撮影地として見れば、かなり優秀

歴史を抜きにしても、この場所は天浜線撮影地としてかなり魅力があります。

東側には茶畑。

西側には水田。

周囲に高い建物は少なく、視界が広く開けています。

天竜浜名湖鉄道 袋井山田付近

季節によって、

春の新茶。

夏の濃い緑。

秋の水田。

冬の茶畑。

と風景も変わります。

列車を主役にすることもできますし、

農村風景の中に列車を小さく入れる

撮り方にも向いています。

茶畑を背景に

もっとも分かりやすい構図です。

なだらかな斜面いっぱいの茶畑を背景に、天浜線を横位置で入れます。

列車の位置によっては、

茶畑の中を走っているような写真

になります。

水田+天浜線+茶畑

個人的に面白いのはこちらです。

西側の水田を前景。

中央に天浜線。

背景に茶畑。

この3層を入れると、この場所の土地利用が一枚に収まります。

昔の航空写真を知ったあとに見ると、

この水田と茶畑の境界そのものにも意味があるように感じます。

広角で造成地全体を残す

列車を大きく撮るだけでなく、広角で斜面全体を記録しておくのも重要です。

今後さらに調べたとき、

  • 斜面の形
  • 茶畑の区画
  • 線路
  • 水田
  • 暗渠位置

の関係を確認できる資料になります。

この場所は「作品写真」と「調査写真」の両方を残しておきたい場所です。

天浜線沿線として見た魅力

天浜線の車窓から見れば、

「きれいな茶畑」

です。

でも歩いてみると、

その下には磐田用水が流れています。

さらに古い地図を見ると、

以前は水田でした。

現在当たり前に見ている沿線風景も、ずっと昔から同じだったとは限りません。

農業。

用水。

鉄道。

土地造成。

そうしたものが重なり合って、

現在の“天浜線と茶畑”という風景ができた

可能性があります。

これは沿線の風景を記録するうえで、とても面白い場所だと思います。

歩いて感じたこと

最初は、単純に天浜線と茶畑が撮れる場所として見ていました。

天竜浜名湖鉄道

きれいな斜面。

整然と並ぶ茶畑。

その中を走る天浜線。

でも、整いすぎていることが逆に気になりました。

そして磐田用水を追ってみると、

線路をくぐった直後に、

天竜浜名湖鉄道 磐田用水

水が地面の中へ消えていく。

暗渠には1973年。

古い航空写真には水田。

その次の時代の航空写真には現在とほぼ同じ茶畑。

一つずつ見れば小さな情報です。

でもつなげてみると、

現在の茶畑そのものが1970年代の大きな土地改変によって生まれたのではないか

という景色が見えてきました。

写真を撮るだけでも魅力的な場所です。

でも、背景を知ると、同じ茶畑が少し違って見えてきます。

今後の調査課題

今回の調査でも、まだ分からないことがあります。

特に確認したいのは、

  • 茶畑造成事業の正式な施工年代
  • 誰が造成したのか
  • 茶畑造成と磐田用水暗渠工事の直接的な関係
  • 「昭和48年3月」が完成年月なのか施工年月なのか
  • 造成以前の磐田用水の正確なルート
  • 暗渠延長前の出口位置
  • 天浜線RC橋の建設年代
  • RC橋の補修履歴

です。

1973年という数字は非常に有力な手掛かりです。

今後、土地改良事業の資料や古い工事記録を確認できれば、さらに詳しく分かる可能性があります。

散策時の注意点

この周辺は農地です。

撮影・観察時は、

  • 茶畑や水田へ入らない
  • 農道で農作業車の邪魔をしない
  • 私有地で三脚を立てない
  • 用水路へ降りない
  • 暗渠内部へ入らない
  • 鉄道用地へ入らない
  • 農作物や設備へ触れない

ことが大切です。

茶畑は撮影対象として魅力的ですが、あくまで生産のための農地です。

安全と農作業を優先して撮影します。

まとめ

敷地駅と遠江一宮駅の間に広がる、袋井市山田の茶畑。

天浜線と茶畑を撮影できる、沿線でも印象的な場所です。

しかし古い航空写真を見ると、

1960年代には現在の斜面はなく、水田が丘の近くまで広がっていました。

1970年代後半には、現在とほぼ同じ斜面と茶畑が現れます。

そして、その斜面の下を通る磐田用水の暗渠には、

昭和48年3月。

1973年という数字が残っています。

この時期は、磐田用水を含む天竜川下流の農業水利施設が大規模に改修されていた時代でもあります。

茶畑造成と暗渠工事が直接同じ事業だったことは、まだ確認できていません。

それでも、

古い水田。

造成された斜面。

1973年の暗渠。

現在の茶畑。

そしてその間を走る天浜線。

これらは同じ場所に重なっています。

今では当たり前に見える、

「天浜線と茶畑」

という風景。

その背景には、1970年代の土地造成と水利改修が関係しているのかもしれません。

撮影地としても面白い。

そして調べても面白い。

敷地〜遠江一宮間で、また一つ気になる場所が増えました。

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