2026年10月22日、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅から、かつて存在した光明電気鉄道の遺構を歩いてみました。

光明電気鉄道 廃線跡
光明電気鉄道。
今では、名前すら知らない人の方が多いかもしれません。
かつて磐田から二俣方面へ向けて造られた地方私鉄です。
しかし、その営業期間は非常に短く、開業から廃止までわずか6年余り。
経営は厳しく、最後は電気料金の滞納によって送電を止められたことが、事実上の終焉につながったと伝えられています。
短命だった鉄道。
それでも、すべてが消えたわけではありません。
今回歩いたのは、
二俣口駅跡
↓
旧光明電気鉄道 阿蔵トンネル
↓
二俣町駅跡
の区間です。
ホーム。
緩やかな線形。
トンネル。
説明看板。
そして、一見しただけでは気づかない土地の形。
鉄道が消えてから長い年月が経った今でも、注意して歩くと、かつてここに線路があった痕跡が残っています。
光明電気鉄道とは
光明電気鉄道は、磐田方面から二俣方面へ向けて建設された私鉄です。
新中泉から二俣町まで、約20kmの路線が建設されました。
地方私鉄としては比較的高規格な路盤やトンネルを持っていたものの、経営は長く続きませんでした。
廃止後も、すべての鉄道施設が無駄になったわけではありません。
田川から二俣方面にかけての一部区間は、その後に建設された鉄道省二俣線へ転用されたとされ、現在の天竜浜名湖鉄道にもその路盤や構造物が受け継がれています。
神田トンネルなどは、その代表的な例です。

短命だった鉄道が築いた路盤の一部が、形を変えて今も現役で使われている。
これは光明電気鉄道の非常に興味深いところです。
天竜二俣から遺構を探して歩く
今回の出発点は、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅です。
光明電気鉄道 二俣町駅跡
光明電気鉄道 阿蔵トンネル跡
光明電気鉄道 二俣口駅跡
そこから西側へ歩き、まず二俣口駅跡を目指しました。
現在の町並みだけを見れば、ここに鉄道があったとはまず気づきません。
道路。
住宅。
空き地。
普通の町の風景です。
しかし、古い地図や線路位置を意識して歩くと、
「このカーブは鉄道っぽい」
「この敷地境界は線路跡ではないか」
という場所が少しずつ見えてきます。
二俣口駅跡
最初に訪れたのが光明電気鉄道 二俣口駅跡です。

光明電気鉄道 二俣口跡
ここには、現在も駅のホームが残っています。
さらに現地には解説看板も設置されており、光明電気鉄道が走っていたことを知ることができます。

光明電気鉄道 二俣口駅跡

光明電気鉄道 二俣口駅跡
廃線跡の多くが道路や住宅地へ変わった中で、
ホームそのものが残っている
というのは大きな手掛かりです。
緩やかに北へ曲がる旧線跡
二俣口駅跡から先を見ると、旧線路は緩やかにカーブしながら北へ向かっていました。

光明電気鉄道 旧線路跡
現在は線路こそありませんが、
道路。
住宅の敷地境界。
土地の形。
そうしたものに、鉄道時代の線形を感じることができます。
明確なレールや枕木が残っているわけではありません。
それでも、
「線路はここを通っていたのではないか」
と考えながら歩くと、現在の街並みの中に旧線の形が浮かび上がってきます。
廃線跡歩きの面白さは、こういうところにあると思います。
阿蔵トンネルへ
二俣口駅跡から北へ進むと、次の大きな遺構が阿蔵トンネルです。

光明電気鉄道 阿蔵トンネル跡
光明電気鉄道時代に造られたトンネルで、現在も坑口が残っています。
ただし、周辺は私有地です。
今回は敷地内には入らず、公道から見える南側坑口のみを確認しました。
トンネルは残る。しかし近づけない
阿蔵トンネルは、光明電気鉄道の遺構の中でも非常に分かりやすい構造物です。
線路は消えても、トンネルは簡単には消えません。
山そのものを掘り抜いて造った構造物だからです。
ただし、現在は鉄道施設として使われていません。
私有地を通らなければ近づけない場所もあり、内部への立ち入りも安全上避けるべきです。
古い記録では、トンネル内部に崩落箇所があるともされています。
そのため、この場所は、
「公道から見える範囲で記録する」
のが適切だと思います。
北側坑口も残っているようですが、今回は確認していません。
廃線跡が街の中へ溶けていく
阿蔵トンネルを越えた先では、旧線跡はさらに分かりにくくなります。
線路跡そのものは道路や住宅地へ変わり、
ここに鉄道があったと知らなければ、そのまま通り過ぎてしまうような場所が続きます。
実際、阿蔵トンネルから二俣町駅跡にかけては、現在では明確な線路跡がほとんど残っていないとする記録もあります。
鉄道が消えるというのは、
線路が撤去されるだけではありません。
その土地が、
道路。
家。
駐車場。
庭。
別の用途へ少しずつ変わっていくことです。
そうして最後には、
線路があったこと自体が分からなくなる。
この区間を歩くと、その変化を実感します。
二俣町駅跡
旧線を追って進むと、光明電気鉄道の営業区間終点だった二俣町駅跡へ到着します。

光明電気鉄道 二俣町駅跡
場所は、現在の浜松市秋野不矩美術館入口付近。
現地には解説看板があります。
ただし、二俣口駅跡のようなホームは残っていません。
現在の景色だけを見ると、ここが鉄道駅だったことはほとんど分かりません。
ここが営業区間の終点
光明電気鉄道は、さらに北へ延伸する構想を持っていました。
二俣町から先、船明方面へ向けて工事も一部進められていたとされています。

光明電気鉄道 二俣町駅付近
しかし、営業列車が到達したのは二俣町まで。
ここが実質的な終点でした。
現在は駅施設も線路もなく、
看板だけが「ここに駅があった」と伝えています。
鉄道の終着駅だった場所とは思えないほど、現在の街並みに溶け込んでいます。
わずか6年余りで消えた鉄道
光明電気鉄道について調べると、どうしてもその短命さが印象に残ります。
地方の発展を夢見て、高規格な鉄道を造った。
トンネルを掘った。
駅を造った。
電車を走らせた。
しかし経営は続かなかった。
最後には電気料金の滞納から送電を止められ、運行継続が困難になったという話まで残っています。
なんとも言えない終わり方です。
ただ、その後を見ると少し印象が変わります。
失敗した鉄道でも、すべてが無駄になったわけではない
光明電気鉄道は経営的には成功したとは言えません。
しかし、造られたものの一部は残りました。
特に田川(天浜線 豊岡駅付近)から二俣(天浜線 天竜二俣駅付近)方面にかけては、
- 路盤
- トンネル
- 線形
が後の二俣線へ利用されたとされています。
つまり、
光明電気鉄道
↓
鉄道省二俣線(国鉄二俣線)
↓
天竜浜名湖鉄道
と、構造物の一部が引き継がれていったことになります。
鉄道会社そのものは消えました。
でも、その鉄道が造った土木構造物の一部は、90年以上たった今も列車を支えています。
これはかなり面白い話です。
「夢破れて山河あり」
今回の遺構巡りで、最後に感じたのはこの言葉でした。
夢破れて山河あり。
鉄道を造った人たちは、
この路線が地域を発展させる。
二俣からさらに北へ延びる。
そんな未来を思い描いていたのかもしれません。
でも、鉄道は消えました。
二俣町駅も消えました。
線路もほとんど消えました。
残ったのは、
小さなホーム。
山に開いたトンネル。
街の中に少しだけ残る線形。
そして、後の鉄道へ引き継がれた路盤。
それ以外は、ほとんど現在の街の風景に戻っています。
鉄道があったことを知らない人にとっては、
それが自然な景色です。
だからこそ、今残っているものを記録しておく意味があるように思います。
天浜線沿線として見た魅力
光明電気鉄道の面白さは、単なる「昔の廃線」ではないところです。
現在の天浜線と、直接つながっています。
天浜線の一部区間では、
今走っている線路の下に、光明電気鉄道の歴史がある。
そう考えると、見慣れた天浜線の景色も少し変わります。
神田トンネル。

天竜浜名湖鉄道 神田隧道 とTH2100
伊折トンネル。
豊岡周辺の路盤。

天竜浜名湖鉄道 上野部駅近くの橋梁

天竜浜名湖鉄道 上野部駅北にある橋梁

天竜浜名湖鉄道 豊岡駅近くの橋梁
そうした場所を見ていくと、
「これは二俣線が最初から造ったものではない」
という場所が存在します。
天浜線の歴史を調べるなら、光明電気鉄道は避けて通れない存在です。
撮影スポットとしての見どころ
二俣口駅跡
最も分かりやすい遺構です。
ホームと看板を一緒に撮影すると、「駅跡」であることが伝わります。
旧線のカーブ
ホームから北側へ伸びる線形を広めに撮ると、鉄道らしいカーブが残ります。
阿蔵トンネル
望遠を使い、公道から坑口を記録します。
無理に近づく必要はありません。
二俣町駅跡
現在の景色と解説看板を一緒に撮ることで、
「何も残っていないこと」
そのものを記録できます。
散策時の注意点
廃線跡巡りでは、私有地との境界に特に注意が必要です。
今回の区間でも、
- 阿蔵トンネル周辺
- 住宅敷地
- 旧線跡と思われる土地
には私有地が含まれています。
撮影・確認は、
- 公道から見える範囲にとどめる
- 私有地へ入らない
- トンネル内部へ入らない
- 住宅を無断で撮影しない
- 敷地境界を越えない
ことが大切です。
特に廃線跡は、
「昔は線路だった」
という理由で自由に立ち入れる場所ではありません。
現在の土地所有や利用状況を優先します。
まとめ
かつて磐田から二俣を結んだ光明電気鉄道。
営業期間はわずか6年余り。
短命に終わった鉄道です。
しかし、二俣周辺を歩くと、
二俣口駅のホーム。
旧線らしい緩やかなカーブ。
阿蔵トンネル。
二俣町駅跡の看板。
など、今もその痕跡を見ることができます。
そして、さらに重要なのは、
一部の路盤やトンネルが、後の二俣線、現在の天浜線へ受け継がれた
ことです。
会社は消えた。
線路もほとんど消えた。
でも、全部が消えたわけではありません。
少しだけ残ったホーム。
山に残ったトンネル。
現在の街の形。
そして今も列車が走る路盤。
夢は破れた。
それでも、山河と構造物は残った。
二俣の街を歩きながら、そんなことを感じた廃線跡巡りでした。




