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2026年10月 天竜川橋梁|403mを渡る天浜線最長の鉄橋を10桁すべて調べる

18.二俣本町駅
天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁
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2026年10月、天竜浜名湖鉄道の天竜川橋梁を改めて詳しく調べました。

場所は浜松市天竜区。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

天浜線が、日本を代表する大河川のひとつである天竜川を渡る場所です。

橋長は403m。

天竜浜名湖鉄道の橋梁の中では最長で、国の登録有形文化財にも登録されています。天浜線公式でも、北側に62.4mの3連トラス、南側に31.5mの上路鈑桁6連と22.3mの上路鈑桁1連をつないだ構造として紹介されています。

しかし、この橋を実際に細かく見ていくと、

「403mの大きな鉄橋」

という一言では終わりません。

10の桁はすべて同じではなく、

  • 3連のトラス
  • 6連の31.5mガーダー
  • 1連の22.3mガーダー

という3種類の構成。

さらに銘板を追っていくと、

  • 東京石川島造船所
  • 株式会社横河橋梁製作所東京工場

という複数メーカーが製作を担当していることも分かります。

今回は、橋の北側から南側まで歩きながら、10桁すべてをできるだけ細かく記録しました。

天竜川橋梁

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天浜線最長、403mの天竜川橋梁

天竜川橋梁は、天竜川を南北方向に横断する鉄道橋です。

天浜線公式では、橋長403m、昭和15年の全線開通時に完成した橋として紹介されています。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

構成は、

  • 1〜3桁:トラス橋
  • 4〜9桁:31.5mガーダー
  • 10桁:22.3mガーダー

です。

つまり、

トラス3連+ガーダー7連

という混成橋です。

単純な10連ガーダーでもなければ、全体がトラスでもありません。

川の条件に合わせて、桁形式を変えています。

10連橋の構成

橋を北側、掛川方から順に見ていくと、

1〜3桁

支間62.4mのトラス橋

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

4〜9桁

支間31.5mの上路ガーダー

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

10桁

支間22.3mの上路ガーダー

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

となります。

公式資料でも、この構成が確認できます。

特に印象的なのが、北側の3連トラスです。

この部分は現在の天竜川の本流に近い場所を渡っています。

ここで長いトラス桁を使うことで、川の中に設ける橋脚の本数を減らしたものと考えられます。

一方、南側では31.5m前後の比較的短いガーダーを連続させています。

川幅が広い天竜川だからこそ、

場所によって最適な橋形式を使い分けた

構造に見えます。

桁ごとの調査結果

今回確認できた内容を、桁ごとに整理しました。

桁 形式 製造会社 図面 製造年 契約番号 支間
1 トラス 東京石川島造船所 すと262-2 昭和11年 亥契橋1639(推定) 62.40m
2 トラス 東京石川島造船所 すと262-2 昭和11年 亥契橋1639(推定) 62.40m
3 トラス 東京石川島造船所 すと262-2 昭和11年 亥契橋1639(推定) 62.40m
4 ガーダー 横河橋梁製作所東京工場 では231 昭和10年 亥契橋1408 31.50m
5 ガーダー 銘板脱落 ― ― ― 31.50m
6 ガーダー 横河橋梁製作所東京工場 では231 昭和10年 亥契橋1408 31.50m
7 ガーダー 横河橋梁製作所東京工場 では231 昭和10年 亥契橋1408 31.50m
8 ガーダー 横河橋梁製作所東京工場 では231 昭和10年 亥契橋1408 31.50m
9 ガーダー 横河橋梁製作所東京工場とみられる 不鮮明 不鮮明 不鮮明 31.50m
10 ガーダー 東京石川島造船所 では222 昭和9年 酉契橋1578 22.30m

5桁目は銘板が脱落しています。

ただし前後の4・6桁が同じ31.5m、同一図面、同一契約で横河橋梁製作所製であることから、5桁目も同じグループで製作された可能性は高そうです。

ただし銘板そのものがないため、現時点では推定にとどめます。

完成は昭和15年、桁の製作は昭和9〜11年

興味深いのは年代です。

文化財としての天竜川橋梁は、二俣線全線開通時の昭和15年(1940年)完成として登録されています。

しかし、桁の銘板を見ると、

  • 昭和9年
  • 昭和10年
  • 昭和11年

とあります。

つまり、鋼桁そのものは橋の完成より数年前に製造されていました。

10桁目は昭和9年。

4〜9桁は主に昭和10年。

トラス3連は昭和11年。

少なくとも銘板上では、数年にわたって段階的に桁が製作されていたことが分かります。

橋脚や築堤などの土木工事と並行しながら、鋼桁が準備されていったのでしょう。

北側3連は東京石川島造船所のトラス

掛川方の1〜3桁は、東京石川島造船所製です。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 桁1 銘板

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

確認できた銘板では、

  • 鐡道省
  • 昭和十一年
  • 東京石川島造船所
  • 図「すと262-2」
  • 支間62M40

と読めます。

契約番号については非常に不鮮明ですが、

「亥契橋1639」

のように見えます。

末尾の文字の形から「亥」と推定していますが、完全には判読できていません。

「すと262-2」と同じ図面の橋

トラスの図面番号は、

すと262-2

と読めます。

この図面番号とまったく同じものが、かつて群馬県にあった旧第三吾妻川橋梁でも確認されています。こちらの記事でも図面情報が示されています。

写真を比較すると、

  • 正面形状
  • 側面のトラス配置
  • 細部の構成

まで非常によく似ています。

同じ標準図面をもとに製作された橋と考えると納得できます。

天竜川橋梁だけの専用設計ではなく、当時の鐡道省が保有する標準設計を使って建造した可能性が高そうです。

同じ図面から生まれた橋が、別の河川にも存在した。

銘板の図番を追う面白さを感じる例です。

4〜9桁は横河橋梁製作所

31.5mガーダーは、主に株式会社横河橋梁製作所東京工場が担当しています。

4、6、7、8桁で確認できた銘板はほぼ共通しています。

 

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 桁8の銘板

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 桁8 銘板

 

  • 昭和十年
  • 株式会社横河橋梁製作所東京工場
  • 図「では231」
  • 亥契橋1408
  • 支間31M500

です。

5桁目は銘板そのものが脱落。

9桁目は銘板がかなり不鮮明でした。

ただし、構造と並びから見て、4〜9桁は同じ系列の桁と考えるのが自然です。

10桁目だけ少し違う

新所原方の最後、10桁目は支間22.3m。

製造会社は再び東京石川島造船所です。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 桁10 銘板

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 桁10 銘板

銘板には、

  • 昭和九年
  • 東京石川島造船所
  • 図「では222」
  • 酉契橋1578
  • 支間22M300

とあります。

つまり天竜川橋梁では、

石川島 → 横河 → 石川島

という配置になっています。

1〜3桁の大型トラスを石川島。

中央の31.5mガーダー群を横河。

最後の短い22.3m桁を再び石川島。

一つの長大橋を、複数メーカーが分担して造っていたことが分かります。

鋼材供給元も銘板から見える

銘板には、橋を組み立てた会社だけでなく、鋼材の供給元も記録されています。

トラスでは、

  • 八幡製鉄所
  • 浅野造船所
  • 浅野小倉製鋼所

など。

31.5mガーダーでは、

  • 八幡製鉄所
  • 日本鋼管株式会社
  • 浅野造船所
  • 浅野小倉製鋼所

などを確認できました。

10桁目では、

  • 日本鋼管會社
  • 浅野造船所
  • 浅野小倉製鋼所

などの文字があります。

一枚の銘板を見るだけで、

橋梁製作会社だけでなく、

昭和初期の製鉄・造船・橋梁メーカーのつながり

まで見えてきます。

最終塗装時期にも差がある

現地では塗装履歴も確認しました。

確認できたものでは、

  • 1桁目:2009年3月
  • 4〜6桁:2011年2月
  • 7〜10桁:2005年12月

など、場所によって最終塗装時期が異なります。

403mもの長さがある橋なので、全体を一度に塗装するのではなく、時期を分けて施工してきたことが分かります。

トラス2・3桁については、今回最終塗装年月を確認できませんでした。

なぜ北側だけトラスなのか

天竜川橋梁を見ると、3連トラスが北側へまとまっています。

現地の河川を見ると、このあたりが現在の本流部分に当たります。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 トラス部分の流れ

ここでは川の流れが集中し、水面も広くなっています。

もし31.5mガーダーだけで渡ろうとすれば、川の中へさらに橋脚を増やす必要があります。

一方、62.4mのトラスを使えば、橋脚間隔を約2倍に広げられます。

そのため、

本流部分では橋脚を減らすために長大トラスを採用した

と考えると、現在の構造とよく合います。

ただし、今回確認した資料には採用理由そのものまでは書かれていないため、これは現地構造からの推定です。

トラス用橋脚も大きい

河床へ降りて橋を見ると、トラスを支える橋脚とガーダーを支える橋脚では印象がかなり違います。

トラス部分では、非常に大きな基礎部分から柱が立ち上がり、その上に長大な62.4m桁が載っています。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 トラス部の橋脚

長いトラスを支えるため、橋脚そのものにもかなりの存在感があります。

一方、ガーダー部分では比較的細身の橋脚が並びます。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁 ガーダー部の橋脚

遠くから橋全体を見るだけでは分かりにくい違いですが、河床から見ると構造の差がよく分かります。

天竜川の河床から見上げる

水位が低い時期には、場所によって天竜川の河床へ下りることもできます。

下から見上げる天竜川橋梁は、かなり迫力があります。

特にトラス3連。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

巨大な鋼構造物が頭上を横切り、その向こうに天竜川が流れています。

列車が通過すると、鉄橋全体に音が響きます。

橋の構造を観察する場所としても、撮影場所としても面白いポイントです。

ただし、河床は河川です。

天候や上流の状況によって急に水位が変化する可能性があります。

撮影できる状況かどうかを十分確認し、増水時には絶対に下りないようにします。

隣に並ぶ鹿島橋

天竜川橋梁のすぐ西側には、道路橋の鹿島橋があります。

こちらも大きなトラス橋です。

天竜川 鹿島橋

浜松市の資料によると、鹿島橋は昭和10年に起工し、昭和12年(1937年)に開通。

銘板には昭和11年・浅野造船所製と残されています。

つまり、

  • 鹿島橋
  • 天竜川橋梁

は、ともに昭和10年代前半に造られた大型鋼橋です。

道路橋と鉄道橋。

用途は違いますが、戦前の大規模橋梁が並んで現役で使われています。

天浜線公式も、鹿島橋と並走する景観を天竜川橋梁の見どころとして紹介しています。

国の登録有形文化財

天竜川橋梁は、国の登録有形文化財です。

二俣線全線開通時の昭和15年に完成した鉄道施設として登録され、天浜線を代表する文化財の一つになっています。

403mという規模だけでも大きな橋ですが、

  • 3連トラス
  • 7連ガーダー
  • 昭和初期の鋼材
  • リベット構造
  • 複数メーカーによる製作

が現在まで残っています。

単に「古い橋」ではなく、昭和初期の長大鉄道橋を現在も列車が渡っているところに価値があります。

撮影スポットとしての見どころ

河床からトラスを見上げる

最も迫力があります。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

62.4mトラスを下から見上げ、そこへ列車を入れることができます。

鹿島橋と一緒に

道路橋と鉄道橋を同時に入れることで、昭和初期の大型橋梁が並ぶ景観を記録できます。

ガーダー側から長さを見せる

望遠で7連のガーダーを圧縮すると、403m橋梁の長さを感じられる構図になります。

天竜浜名湖鉄道 天竜川橋梁

銘板

今回の記事では重要な記録です。

橋梁全景だけでなく、

  • メーカー
  • 図面番号
  • 契約番号
  • 製造年
  • 材料
  • 塗装履歴

まで撮っておくことで、橋の歴史そのものを残せます。

歩いて感じたこと

天竜川橋梁は、以前から大きな橋だとは思っていました。

でも、今回10桁を一つずつ調べてみると、印象がかなり変わりました。

石川島。

横河。

昭和9年。

昭和10年。

昭和11年。

62.4m。

31.5m。

22.3m。

同じ一本の橋なのに、桁ごとに違う歴史があります。

遠くから見れば一本の403mの鉄橋。

近づいてみると、実際には複数の設計、複数の製造会社、複数の年代の桁をつないでできています。

そして、それが約90年後の現在も現役です。

天竜川の大きな流れ。

頭上を渡るトラス。

リベットで組まれた鋼材。

そこを一両の天浜線が走っていく。

天浜線の橋をいくつも見てきましたが、やはりこの橋は別格だと感じました。

散策時の注意点

天竜川橋梁は現役の鉄道橋です。

橋梁本体や鉄道用地への立ち入りはできません。

撮影・観察時は、

  • 線路内へ入らない
  • 橋梁へ登らない
  • 銘板確認のため無理に近づかない
  • 河床へ下りる場合は水位を確認する
  • 雨天時や増水時は河川敷へ近づかない
  • 足元の石や砂地に注意する

ことが大切です。

特に天竜川は大きな河川です。

現地が晴れていても、上流の降雨やダム放流などで状況が変化する可能性があります。

河床撮影は、安全が確認できる場合だけにします。

まとめ

天竜浜名湖鉄道の天竜川橋梁。

全長403m。

天浜線最長の橋梁です。

構成は、

  • 62.4mトラス ×3連
  • 31.5mガーダー ×6連
  • 22.3mガーダー ×1連

の10連。

北側3連トラスは東京石川島造船所。

31.5mガーダー群は横河橋梁製作所東京工場。

最後の22.3mガーダーは再び東京石川島造船所。

銘板を見ると、昭和9〜11年に各桁が製作され、昭和15年の二俣線全線開通時に403mの長大橋として完成したことが見えてきます。

一本の橋。

しかし中身は、決して一様ではありません。

トラス。

ガーダー。

石川島。

横河。

複数の年代と複数の製造会社。

それらをつないで、一つの天竜川橋梁になっています。

橋梁の大きさだけでも圧倒されます。

でも、銘板を一枚ずつ読んでいくと、その403mの中にさらに多くの歴史が詰まっていることが分かりました。

天浜線を代表する橋。

そして、これからもできる限り記録しておきたい橋です。

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