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2026年10月 浜名湖佐久米駅の湖岸造成と汽船場踏切|鉄道建設で生まれた湖岸を歩く

30.浜名湖佐久米駅
天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅周辺の護岸
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天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅

浜名湖のすぐそばにホームがある、天竜浜名湖鉄道の浜名湖佐久米駅。

浜名湖佐久米駅周辺の石積み護岸

駅から湖を見ると、

「湖岸ぎりぎりに鉄道を通した」

ように見えます。

しかし、古地図を現在の地形と見比べると、少し違う景色が見えてきます。

1916〜1918年頃の地形図では、現在の線路付近はまだ浜名湖の水面だったように見えます。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

※赤丸の部分が現在の浜名湖佐久米駅

当時の湖岸は、現在の国道362号付近。

つまり、

現在の佐久米駅や線路がある場所そのものが、二俣線建設に伴って造成された土地なのではないか。

そんな可能性が見えてきました。

実際、現在の駅前には線路と平行する長い石積み護岸が残っています。

さらに駅の東側には、湖へ向かう小さな第4種踏切。

その先には、現在も船着場のような形をした場所があります。

踏切名は汽船場踏切。

資料によっては「気船場」と表記されているものもあります。

今回は、

  • 古地図
  • 航空写真
  • 現在の湖岸
  • 石積み護岸
  • 汽船場踏切
  • 船着場の痕跡

を見比べながら、

二俣線の建設が佐久米の湖岸をどのように変えたのか

を考えてみます。

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現在の浜名湖佐久米駅

現在の浜名湖佐久米駅は、ホームのすぐ南側に浜名湖が広がっています。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅

線路と水面の距離は非常に近く、佐久米駅を特徴づける景色の一つです。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 パノラマ

駅の東西を見ると、湖岸には石積みの護岸が長く続いています。

その内側に線路。

さらに山側には道路や住宅があります。

一見すると、

「もともとの湖岸沿いに鉄道を敷いた」

ようにも見えます。

ところが古地図を見ると、この印象が変わります。

 

1916〜1918年の地図では、線路付近は湖面

二俣線が造られる前の1916〜1918年頃の地形図を確認すると、現在とは湖岸線がかなり違って見えます。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

現在の佐久米駅や線路がある場所の多くは、湖面だったように読み取れます。

当時の湖岸は、現在の国道362号周辺。

もしこの読み取りが正しければ、二俣線は自然の湖岸に沿って造られたのではありません。

浜名湖側へ新しく土地を造り、その上に線路を通した

ことになります。

古地図だけで埋め立て工事の詳細までは分かりません。

しかし、現在の直線的な護岸と組み合わせると、鉄道建設による湖岸造成を考える大きな手掛かりになります。

二俣線建設時に湖岸を造成したのか

現地の地形と古地図を重ねると、次のような工事が行われた可能性があります。

  1. 従来の湖岸より浜名湖側へ直線的な護岸を築く
  2. 旧湖岸と新しい護岸の間を埋め立てる
  3. その上に鉄道の築堤・駅用地を造る
  4. 山側から浜名湖へ流れる水路は函渠や小橋で通す

実際、佐久米駅周辺には小さな水路をまたぐ鋼橋が複数残っています。

前回の記事で紹介した、佐久米駅周辺の3つの短い鋼橋です。

それらは単なる小橋ではなく、

造成した鉄道用地を横切って、従来どおり湖へ水を流すための構造物

だった可能性もあります。

ただし、護岸の正確な築造年や工事手順はまだ確認できていません。

現段階では、古地図と現地地形から考えた仮説です。

数百メートル続く石積み護岸

佐久米駅周辺を歩いていると、湖岸の石積みがかなり長く続いていることに気づきます。

線路とほぼ平行。

そして、かなり直線的です。

自然の湖岸というより、人為的に線を引いて築いた護岸という印象があります。

石と石の間には、目地材のようなものも見えます。

長い年月の間に補修されている可能性もありますが、いつ、どこまで修理されたのかは確認できていません。

現在は、佐久米駅の東西約200mの間にある石積み護岸ですが、過去の航空写真を見ると別の顔が見えてきます。

国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用 (赤丸は筆者が追記)

※東名高速道路が建設される前の浜名湖佐久米駅付近の様子

出典:国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用(赤丸は筆者が追記)

※現在の浜名湖佐久米駅付近の様子

現在は、佐久米駅周辺のみに護岸が残っていますが、東名高速道路建設前は、もっと東。崎山踏切まで護岸が続いていたことがわかります。

実際に、崎山踏切の西側をよく見ると、護岸の先端が顔を出しているのが確認できます。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅周辺の護岸。東側の端

現在も浜名湖の水を受け続ける護岸

この護岸は、過去の遺構ではありません。

現在も現役の湖岸です。

調査時の潮位はおよそ+80cm。

付近では+130cm程度まで上がることもあるとみられ、さらに50cmほど水位が高くなる可能性があります。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅周辺の護岸

つまり、古い石積みは現在も、

  • 潮汐
  • 波
  • 風

の影響を受け続けています。

現在は湖側に東名高速道路もありますが、建設以前はもっと開放された水面だったはずです。

今より直接的に波を受けていた可能性もあります。

古い護岸が現在まで残っていること自体、少し驚かされます。

駅東側に残る小さな第4種踏切

湖岸を東へ歩いていて見つけたのが、小さな第4種踏切です。

天竜浜名湖鉄道 汽船場踏切

警報機も遮断機もありません。

公開されている踏切一覧では**「汽船場踏切」**という名称が確認できます。

一方、別の資料では**「気船場」**と表記されています。

どちらが正式な表記なのかは、今後確認したいところです。

しかし、どちらにしても読みは「きせんば」。

この名前が非常に気になります。

踏切の先に船着場のような場所

汽船場踏切を渡った先には、湖へ向かって少し張り出した場所があります。

現在も、小さな船着場のような形です。

天竜浜名湖鉄道 汽船場踏切の先

現地では、

  • 湖へ出る通路が残る
  • 踏切の渡り板が比較的新しい
  • 周囲の草がある程度刈られている
  • 湖岸に20m以上続くロープがある
  • 船着場らしい張り出しが残る

といった様子を確認しました。

完全に放棄された場所という印象ではありません。

ただし、現在ここへ船が出入りしている場面は確認していません。

今も船着場として使用されているのか。

単に維持管理されているだけなのか。

現状では分かりません。

古地図に現れる船の記号

この場所について、時代ごとの地図や航空写真を確認しました。

整理すると次のようになります。

年代 確認できた内容
1916〜1918年頃 現在の船着場付近は湖面。船の記号は確認できず
1938〜1950年頃 湖へ張り出した地形と船の記号
1956〜1959年頃 同じ場所に船の記号
1974〜1978年 航空写真で小舟の係留を確認
1987〜1990年 航空写真で小舟の係留を確認
2026年 汽船場踏切と船着場状の地形が現存

ここで重要なのは、

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

地図記号だけではなく、航空写真にも実際の小舟が写っている

ことです。

1970〜80年代にも船が係留されていた

1974〜1978年の航空写真を見ると、汽船場踏切の正面にある張り出し部分へ、小舟が係留されています。

出典:国土地理院 地理院地図 電子国土webより引用(赤丸は筆者が追記)

さらに1987〜1990年頃の航空写真でも、小舟を確認できます。

つまり、

少なくとも1970年代から1980年代頃まで、この場所が実際に船を置く場所として使われていた

可能性はかなり高そうです。

単に「昔の地図に船の記号がある」だけではありません。

実物の船が写っている。

これは、この場所の用途を考えるうえで重要な手掛かりです。

ただし、

  • 定期船があったのか
  • 漁船なのか
  • 個人の舟なのか
  • 渡船なのか

までは分かりません。

ここから定期航路が出ていた、とまでは言えません。

「汽船場」という名前は何を意味するのか

踏切名が「汽船場」であることも興味深いところです。

普通なら、湖岸へ続く踏切だからといって「汽船場」とは名付けません。

踏切が設置された当時、この先に船を利用する場所があった。

あるいは、船着場へ向かう通路として踏切が必要だった。

そう考えるのは自然です。

ただし、「汽船」という名前だからといって、必ず蒸気船や定期航路があったとは限りません。

踏切名がいつ決まったのかも分かっていません。

名称だけで用途を断定しないようにしたいところです。

二俣線建設で船着場が造られたのか

ここで、古地図と湖岸造成を重ねてみます。

1916〜1918年頃。

現在の船着場付近は湖面。

まだ二俣線はありません。

その後、二俣線が建設され、

  • 湖側へ護岸が造られる
  • 土地が造成される
  • その上を線路が通る

ようになったと考えられます。

すると、それまで山側から直接湖へ出られていた道は、鉄道によって分断されます。

そこで、

湖へ出るための通路として踏切を設け、その先に船着場を設けた

という可能性が考えられます。

現地の地形。

古地図。

汽船場という踏切名。

船着場状の張り出し。

これらは、この仮説とよく合います。

新設か、移設かは分からない

ただし、ここには大きな注意点があります。

1916年の地図に船の記号がないからといって、

それ以前にこの地域に船着場が存在しなかった

とは言えません。

地図に描かれていない小さな舟場が存在した可能性もあります。

そのため、

  • 二俣線建設時に新しく船着場を造った
  • もともとの船着場を造成後の湖岸へ移した
  • 後年になって船着場が設置された

のどれなのかは、現時点では分かりません。

今後、工事記録や地域史料が見つかれば確認したいところです。

護岸と船着場は同じ工事だったのか

もう一つ気になるのが、

石積み護岸と汽船場が同時に造られたのか

という点です。

地形だけを見ると、一連の湖岸造成の中で作られたようにも感じます。

しかし、これもまだ証拠はありません。

ただ、調査の結果一つの仮説にたどり着きました。

出典:「今昔マップ on the web」より作成(赤丸は筆者が追記)

この地図は、東名高速道路が建設される前。1956年~1959年のもの。佐久米駅の東側に、数十メートル幅の埠頭のようなものが確認できます。

次にこの部分の写真を確認します。注目点は、石積みの護岸があるかどうか。

天竜浜名湖鉄道 汽船場踏切

1枚目は汽船場踏切付近の護岸。汽船場踏切は、過去にあった埠頭の佐久米駅側の端付近に作られています。そして、よく見ると、護岸は、踏切の西側にはあるけれど、東側にはありません。

天竜浜名湖鉄道 佐久米駅周辺 護岸調査

2枚目は、過去に埠頭があったとみられる場所。この場所にも護岸はありません。

天竜浜名湖鉄道 佐久米駅周辺 護岸調査

3枚目。過去に埠頭があったとみられる場所の東側の端でまた護岸が復活します。

このことから、この船着き場と、踏切は、二俣線建設に合わせて作られた可能性が高いと考えます。

最初に護岸を作り、そのご船着き場を建設する時に、護岸を壊したという可能性も0ではありませんが、あえて護岸を壊す必然はないと考えました。

佐久米駅周辺の3つの小鋼橋との関係

前回の記事で、佐久米駅周辺に3つの小さな鋼橋が残ることを紹介しました。

東側約5m。

ホーム下約3m。

西側約5m。

これらはいずれも小さな水路をまたいでいます。

もし佐久米駅の土地が鉄道建設時の造成地なら、

これらの小橋は、

山側から浜名湖へ流れる水を、新しい築堤の下へ通すために設けられた橋

と考えることもできます。

つまり、

  • 石積み護岸
  • 造成地
  • 小鋼橋
  • 汽船場踏切
  • 船着場

は、ばらばらの構造物ではなく、

二俣線建設によって新しく造られた湖岸システムの一部

だった可能性があります。

ここは今後さらに調べてみたいところです。

鉄道が地形を変えた場所

鉄道を見ていると、どうしても橋やトンネル、駅舎といった構造物に目が向きます。

でも、線路を通すためには、

土地そのものを変える

ことがあります。

山を切る。

谷を埋める。

築堤を造る。

川を架橋する。

そして、湖岸を造成する。

佐久米駅は、その典型だったのかもしれません。

今では、

「浜名湖のすぐ横を走る天浜線」

という自然な風景に見えます。

しかし、その風景自体が約90年前の鉄道建設によって造られたものだとすれば、見え方はかなり変わります。

撮影スポットとしての見どころ

長く続く石積み護岸

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅

できるだけ線路との位置関係が分かるよう、少し引いて撮るのがおすすめです。

護岸の細部

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 護岸

石積み、目地、補修痕などを記録しておくと、後の比較資料になります。

汽船場踏切

天竜浜名湖鉄道 汽船場踏切

踏切だけではなく、その先の様子がわかる構図が重要です。

船着場状の張り出し

天竜浜名湖鉄道 汽船場踏切付近

踏切から湖まで道が続いていることが分かるように撮ると、記事の仮説が伝わりやすくなります。

列車+護岸+浜名湖

この場所の現在の景観を記録する写真として残しておきたいところです。

歩いて感じたこと

最初は、佐久米駅前の石積みを見て、

「古い護岸だな」

くらいに思っていました。

でも古地図を見ると、現在の線路付近が湖面だったように見える。

そこで現地を改めて歩くと、

長く続く護岸。

水路を越える小橋。

そして汽船場踏切。

その先には船着場のような場所。

一つずつは小さな構造物です。

でも、それらをつなげると、

二俣線を造るために湖岸そのものを作り替えた

という一つの風景が見えてきます。

さらに航空写真には、船着場に小舟まで写っていました。

鉄道ができたあとも、湖とのつながりは消えなかった。

そのために踏切が残ったのかもしれません。

まだ仮説の部分は多いです。

でも、だからこそ調べてみたい場所になりました。

今後の調査課題

今後確認したいことは多く残っています。

特に、

  • 『写真図説 鉄道百年の歴史』の「二俣線浜名湖の護岸擁壁」
  • 護岸造成の施工時期
  • 埋め立て工事の範囲
  • 汽船場踏切の正式表記
  • 踏切の設置年代
  • 船着場の正式名称
  • 船着場の利用目的
  • 定期航路の有無
  • 1970〜80年代に係留されていた舟の用途
  • 東名高速道路建設前後の湖岸環境
  • 現在の船着場の管理者・利用状況

などです。

地域史や昔の写真が見つかれば、かなり解明できる可能性があります。

散策時の注意点

佐久米駅周辺は、現在も生活の場です。

また、湖岸には柵のない場所もあります。

観察時は、

  • 鉄道用地へ入らない
  • 第4種踏切内で立ち止まらない
  • 撮影時は列車接近に十分注意する
  • 湖岸から転落しないよう注意する
  • 石積み護岸へ無理に下りない
  • 船着場周辺の設備やロープに触れない
  • 私有地へ入らない

ことが大切です。

特に潮位が高いときや強風時は、湖岸の状況が変わります。

現地の安全を優先して観察します。

まとめ

浜名湖佐久米駅の前に広がる浜名湖。

今では当たり前の風景です。

しかし1916〜1918年頃の地図を見ると、現在の駅や線路付近は湖面だったように読み取れます。

その後、二俣線の建設に合わせて、

浜名湖側へ護岸を築き、

土地を造成し、

その上に線路と駅を造った。

そんな可能性が見えてきます。

現在も残る長い石積み護岸。

水路を越える小さな鋼橋。

そして汽船場踏切。

踏切の先には船着場のような張り出しがあり、1970〜80年代の航空写真には実際に小舟が係留されています。

つまり、鉄道建設で湖岸が変わったあとも、

地域と浜名湖をつなぐ船の利用は長く残っていた

可能性があります。

佐久米駅前の湖岸は、

自然のまま残った景色ではなく、

鉄道建設によって生み出された風景なのかもしれない。

その長い石積みと、小さな汽船場踏切は、

鉄道が地域の地形や水上交通に与えた影響を、今に伝えているように感じました。

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