浜名湖のすぐそばにある、天竜浜名湖鉄道の浜名湖佐久米駅。
駅そのものは、冬になるとユリカモメが集まることでよく知られています。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅
しかし今回は、駅舎でも浜名湖でもありません。
注目したのは、線路の下にある3つの小さな鋼橋です。
駅の東側に約5m級(中川橋梁)。
ホーム直下に約3m級。
そして駅の西側にも約5m級。
いずれも小さな水路をまたぐ橋で、普通に駅を利用しているだけなら、存在そのものに気づかないかもしれません。
ところが一つずつ見ていくと、昭和初期の二俣線建設時の構造を残していると思われる、興味深い橋でした。
今回は3橋の構造と銘板を確認し、さらに桜木駅近くに残る富部橋梁とも比較してみます。
佐久米駅周辺に3つの小さな鋼橋
今回確認した3つの橋をまとめると、次のようになります。
佐久米駅ホーム下の橋梁
佐久米駅西側の橋梁
佐久米駅東側の橋梁(中川橋梁)
| 位置 | 推定支間 | 構造 | 銘板 |
|---|---|---|---|
| 駅東側 | 約5m | I形鋼2本と推定 | 脱落を確認・(中川橋梁) |
| ホーム直下 | 約3m | I形鋼2本と推定 | 昭和10年製を確認 |
| 駅西側 | 約5m | I形鋼2本と推定 | 陸側では未確認 |
どれも大きな河川を渡る橋ではありません。
浜名湖へ通じる小さな水路を、鉄道が越えるための橋です。
3橋とも、主桁は2本のI形鋼を使った構造のように見えます。
長いプレートガーダーで見られるような、桁の側面にびっしり並ぶリベット列はありません。
代わりに、リベットは端部付近へ集中しています。
非常に簡素な構造です。
駅東側の約5m級鋼橋(中川橋梁)
まずは佐久米駅の東側。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅東側の橋梁
ここには、小さな水路をまたぐ約5m級の鋼橋があります。
構造を見ると、2本のI形鋼を主桁として使っているように見えます。
特徴的なのはリベットの配置です。
桁の長手方向にはほとんどリベットが見られず、端部周辺にまとまっています。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅東側の橋梁
後ほど紹介する桜木の富部橋梁と、この部分が非常によく似ています。
銘板が取り付けられていたと思われる場所も確認しましたが、現在は脱落していました。
そのため、この橋については製造年や製造会社を直接確認できていません。
※ 塗装銘板は撮影できました。塗装銘板に書かれた橋梁名「中川橋梁」を正式名称とします。
ホーム直下に隠れる約3mの鋼橋
2つ目は、佐久米駅のホーム直下です。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 ホーム下の橋梁
こちらは東西の橋よりさらに短く、推定支間は約3m。
同じようにI形鋼を使った橋に見えますが、5m級の2橋よりも桁高が低くなっています。
佐久米駅のホームそのものは約100mあります。
現在、旅客が実際に使用しているのは中央付近の約40mほど。
今回の3m級鋼橋があるのは、その未使用部分のホーム下です。
現在の列車がこの場所に停車することはありませんが、線路そのものは橋の上を通っています。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 ホーム下の橋梁
つまり、小さなこの橋も今なお現役で線路を支えています。
昭和10年の銘板が残っていた
このホーム直下の橋では、銘板を確認できました。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 ホーム下の橋梁
読み取れた範囲を整理すると、次のようになります。
| 項目 | 判読結果 |
|---|---|
| 発注者 | 鐡道省 |
| 活荷重 | KS12 |
| 図面番号 | 〇229 |
| 製作会社 | 株式會社大阪〇〇製作 |
| 製造年 | 昭和拾年 |
| I形鋼 | 八幡製鉄所 |
| L形鋼 | 日本鋼管株式會社 |
| 鋼板 | 未判読 |
| 鋲 | 浅野小倉製鋼所 |
昭和拾年、つまり1935年。
二俣線建設時期の橋であることが確認できます。
製作会社は大阪鐵工所なのか
製作会社の部分は、完全には読み取れていません。
見えているのは、
「株式會社大阪〇〇製作」
という文字です。
大阪鐵工所の可能性も考えていますが、現時点では確定できません。
不鮮明な銘板は、知っている会社名へ無意識に当てはめて読んでしまう危険があります。
そのためこの記事では、
製作会社名は未判読
としておきます。
別の橋で同じ形式の銘板が見つかれば、比較によって判読できる可能性があります。
謎の図面番号「〇229」
さらに気になるのが図面番号です。
末尾の、
229
はかなり確実に読めます。
問題は、その前のひらがなです。
文字は丸みを持った形に見え、
- め
- ぬ
- お
など、いくつか候補があります。
しかし現状の写真だけでは決め手がありません。
そしてもう一つ気になるのが、数字の「29」です。
今回の橋は約3m級。
当時のI形桁の標準支間に2.9mという長さが存在したとすれば、
「229」の末尾29が2.9mを示しているのではないか
という仮説も考えられます。
ただし、これはまだ仮説です。
先頭の「2」の意味も分かりません。(KS12を表している?)
図面番号と支間長の対応関係が確認できたわけでもありません。
今後、同時代の短支間橋梁で「229」や近い番号の銘板が見つかれば、比較してみたいところです。
駅西側にも約5m級の鋼橋
3つ目は駅西側です。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅西側の橋梁
こちらも推定支間約5m。
構造は東側と似ており、I形鋼を使った橋のように見えます。
しかし、陸側から確認できる範囲では銘板を発見できませんでした。
銘板が浜名湖側に取り付けられている可能性もあります。
ただし、湖側へ安全に回り込んで確認できる場所ではありません。
無理に近づくことはせず、今回は未確認としました。
桜木の富部橋梁と比べてみる
今回、特に興味深かったのが、桜木駅近くにある富部橋梁との比較です。
整理すると、
| 比較項目 | 佐久米駅東側 | 富部橋梁 |
|---|---|---|
| 製造年 | 未確認 | 昭和9年 |
| 推定支間 | 約5m | 約5m級 |
| 桁形式 | I形鋼と推定 | I形鋼と推定 |
| リベット配置 | 端部に集中 | 非常によく似る |
| 図面番号 | 未確認 | あ5-3 |
特に似ているのが、
端部の補強材とリベットの配置
です。
写真を見比べると、リベットの数や位置関係までかなり近く見えます。

天竜浜名湖鉄道 富部橋梁のリベット配置
富部橋梁は昭和9年。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅東側の橋梁
佐久米駅ホーム下の橋は昭和10年。
わずか1年違いです。
東側の5m級橋が同時代のものだとすれば、同系統の設計思想で造られた可能性は十分に考えられそうです。
同じ標準設計だったのか
鐡道省が全国で大量の鉄道橋を建設していた時代には、同じ規模・用途の橋ごとに標準設計を用意していたと考えるのは自然です。
佐久米と富部。
場所は離れていますが、
- 建設時期が近い
- 支間が近い
- I形鋼と思われる
- 端部形状が似ている
- リベット配置が似ている
という共通点があります。
そのため、同系統の標準設計による橋だった可能性を考えています。
ただし、富部橋梁の図面番号は**「あ5-3」**。
佐久米駅東側橋では銘板が脱落しているため、図面番号を比較できません。
外見が似ているからといって、同じ図面だと断定することはできません。
現段階では、
「昭和初期の同系統の短支間I形鋼橋である可能性がある」
くらいにとどめておきます。
二俣線では鋼橋とRC橋をどう使い分けたのか
天浜線の橋を調べていると、地域によって橋の構造に違いがあることにも気づきます。
これまで私が確認した範囲では、掛川〜遠州森間で調査した8橋は、いずれも鋼橋でした。

天竜浜名湖鉄道 垂木川橋梁
製造年は主に昭和9〜10年。
一方、遠州森〜三ヶ日間で確認した15橋では、RC橋や、RCと鋼橋を組み合わせた橋が多くなっています。

天竜浜名湖鉄道 敷地川橋梁
特に昭和11年以降の区間では、
短い支間をRC、長い部分を鋼桁
とするような構造が目立ちます。
これは非常に興味深い違いです。
建設時期による変化なのか
掛川側の早い工区では短い橋にも鋼桁を使い、その後の工区では短支間にRCを積極的に使うようになった。
もしそうなら、二俣線の建設期間中にも橋梁設計の考え方が変化した可能性があります。
ただし、ここは慎重に見る必要があります。
違いが生じた理由としては、
- 建設時期
- 建設工区
- 地形
- 河川条件
- 材料調達
- 工費
- 後年の架け替え
など、さまざまな要因が考えられます。
現時点の調査数だけで、
「昭和11年からRCへ切り替わった」
と断定することはできません。
ただ、沿線の橋を一本ずつ記録していけば、何らかの傾向が見えてくる可能性があります。
佐久米の3橋も、その比較資料の一つです。
なぜこんな小さな橋を調べるのか
佐久米駅周辺の3橋は、どれも非常に小さな橋です。
天竜川橋梁のような迫力もありません。
都田川橋梁のような長大橋でもありません。
登録有形文化財でもありません。
駅を利用する人の大半は、橋があることにも気づかないでしょう。
でも、だからこそ面白いとも感じます。
大きな橋だけでなく、わずか3mや5mの水路まで、鉄道を通すためには何らかの構造物が必要でした。
そこにも設計図があり、
製鉄所から鋼材が届き、
メーカーが橋を造り、
銘板が取り付けられた。
小さくても、一本の鉄道橋です。
浜名湖佐久米駅ならではの位置関係
佐久米駅は浜名湖のすぐそばにあります。
線路と湖岸の間には、古い石積みの護岸が続く場所もあります。
今回調査した3橋はいずれも、そうした湖岸へ流れ込む小さな水路を越えています。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 ホーム下の橋梁
つまり、
駅。
線路。
小さな水路。
鋼橋。
護岸。
浜名湖。
という構造が非常に狭い範囲に集まっています。
佐久米駅周辺の地形や湖岸造成を考えるうえでも、この小橋梁群は興味深い存在です。
撮影スポットとしての見どころ
この3橋は、列車撮影地というより構造記録向きです。
橋全体
まず水路と鋼橋の関係が分かるように撮影します。
桁端部
今回の比較では最も重要な部分です。
補強材やリベット配置が分かる写真を残しておくと、他橋との比較に使えます。
銘板
ホーム下の橋では、
- 発注者
- KS12
- 図面番号
- 製造会社
- 製造年
- 材料供給元
が確認できるように、正面から記録します。
ホームとの位置関係
3m級橋については、ホーム全体と橋の位置関係が分かる写真があると、なぜ見つけにくいのかも伝わります。
歩いて感じたこと
最初は、佐久米駅周辺に小さな橋がいくつかある。
その程度の認識でした。
でも実際に一つずつ見てみると、
東に5m級。
ホーム下に3m級。
西にも5m級。
しかもホーム下には、昭和10年の銘板まで残っていました。
さらに写真を見返すと、桜木の富部橋梁と端部構造が非常によく似ています。
大きな橋ほど情報量が多いとは限りません。
小さな橋をいくつも比較することで、
鐡道省が二俣線をどう造ったのか
という、もっと大きな話が見えてくる可能性があります。
佐久米駅の足元に残る3つの小橋は、そのための貴重な手掛かりだと思います。
今後の調査課題
今回の調査でも、まだ分からないことが多く残りました。
特に確認したいのは、
- 銘板の図面番号「〇229」の先頭文字
- 「229」と支間2.9mとの関係
- 製作会社「株式會社大阪〇〇製作」の正式名称
- 駅西側橋梁の湖側に銘板が残っているか
- 富部橋梁の未確認銘板
- 3橋の正確な支間
- 各橋の桁高
- 他駅にも同形式の短支間橋が残っていないか
といった点です。
すぐには答えが出なくても、別の橋で似た銘板を見つけたとき、突然つながることがあります。
そのためにも、現時点で読める文字、読めない文字を含めて記録しておきたいと思います。
散策時の注意点
3橋はいずれも現役の鉄道橋です。
観察や撮影は安全な場所から行います。
- 鉄道用地へ入らない
- 線路へ近づかない
- 水路へ無理に降りない
- 浜名湖側へ無理に回り込まない
- 銘板を見るために橋へ触れたり登ったりしない
- 周辺の住宅や私有地へ入らない
ことが大切です。
特に西側橋の湖側銘板については、確認できそうだからと無理に近づくべきではありません。
冬になって草木が減るなど、安全な場所から見やすくなる機会を待つ方がよさそうです。
まとめ
浜名湖佐久米駅周辺には、3つの小さな鋼橋が残っています。
東側に約5m。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 東側の橋梁
ホーム直下に約3m。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 ホーム下の橋梁
西側に約5m。

天竜浜名湖鉄道 浜名湖佐久米駅 西側の橋梁
どれも小さな水路を渡る、目立たない橋です。
しかし、ホーム直下の橋には、
鐡道省
KS12
昭和拾年
と刻まれた銘板が残っています。
そして橋の構造を詳しく見ると、桜木の富部橋梁とよく似た端部形状やリベット配置も確認できます。
同じ設計だったとはまだ言えません。
図面番号も完全には読めていません。
製作会社も未確定です。
それでも、こうした小橋梁を一つずつ比較することで、昭和初期の二俣線で使われた標準設計や、鋼橋とRC橋の使い分けが少しずつ見えてくるかもしれません。
普段はほとんど目に留まらない、駅の足元の小さな橋。
そこにも、90年以上前の鉄道建設の記録が残っていました。



