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2026年9月 豊岡駅近くの野辺橋梁・磐田用水橋梁|鐡道省と国鉄、二つの時代を残す鋼橋

15.豊岡駅
天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁
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2026年9月22日、天竜浜名湖鉄道の豊岡駅周辺を歩きました。

今回訪れたのは、豊岡駅近くにある二つの短い鋼橋です。

一つは静岡県磐田市下野部にある野辺橋梁。

もう一つは磐田市新開にある磐田用水橋梁です。

二つの橋の間隔は、直線距離でおよそ300m。

どちらも決して大きな橋ではありません。

ところが銘板を確認すると、二つの橋にはまったく違う時代の記録が残っていました。

野辺橋梁は鐡道省・昭和十三年。

磐田用水橋梁は日本国有鉄道・1973年。

近い場所にある二つの小さな橋から、二俣線開業時と国鉄時代の二つの時代を見ることができます。

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スポットの概要

今回訪れた二つの橋は、どちらも天浜線の豊岡駅近くにあります。

野辺橋梁

磐田用水橋梁

野辺橋梁

所在地は静岡県磐田市下野部。

支間9m80の短い鋼橋で、構造は下路式です。

天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁

規模だけを見ると小さな橋ですが、現地で確認すると鐡道省時代の銘板が残っていました。

磐田用水橋梁

所在地は静岡県磐田市新開。

農業用水である磐田用水を渡る、支間12m90の下路式鋼橋です。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁

こちらにも銘板があります。

ただし表記は「鐡道省」ではなく「日本国有鉄道」。

製作年は1973年でした。

わずか300mほどの間に、戦前と国鉄時代という異なる時期の鋼橋が並んでいることになります。

野辺橋梁|昭和13年の鐡道省銘板

野辺橋梁は、支間9m80の小さな下路式鋼橋です。

橋そのものは短く、知らなければそのまま通り過ぎてしまいそうな規模です。

ところが、近くから確認すると古い銘板が残っていました。

天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁

読み取れた内容は、

  • 鐡道省
  • 活荷重 KS12
  • 図番と思われる表記:209
  • 川崎車輛株式會社
  • 昭和十三年
  • 材料 I・C・L:八幡製鉄所
  • L:釜石製鉄所
  • 鈑:八幡製鉄所
  • 鋲:小倉製鋼株式會社

です。

昭和13年は、この区間が二俣線として開業した時期にあたります。

小さな橋ですが、銘板を見ることで、二俣線建設時から残る鋼橋であることが分かります。

野辺橋梁の横にあるRC橋

野辺橋梁でもう一つ気になったのが、その横にあるRC橋です。

堤防を介するような位置に水路があり、そこにRC橋が架かっています。

天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁

現地で見ると、鋼橋とRC橋が連続しているようにも見えます。

一方で、構造としては別々に見える部分もありました。

今回の観察だけでは、二つが一体の橋梁として造られたのか、それとも別々の構造物なのかまでは確認できていません。

それでも、短い鋼橋のすぐ横に別形式の橋があることで、この場所の構造は思った以上に複雑です。

今後、別の角度から確認してみたい部分です。

磐田用水橋梁|1973年製の国鉄時代の鋼橋

野辺橋梁から約300m離れた場所にあるのが、磐田用水橋梁です。

こちらは支間12m90。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁

磐田用水を渡る下路式の鋼橋です。

そして、この橋で特に印象的だったのが銘板でした。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁 銘板

確認できた表記は、

  • 日本国有鉄道
  • 1973年
  • KS-16
  • WTGC 612-A
  • 東海鋼材工業
  • 本社工場

です。

野辺橋梁の「鐡道省・昭和十三年」とは、まったく時代が違います。

1973年、昭和48年。

二俣線はすでに長い間営業していた時代です。

橋桁を見ると、戦前の鋼橋と比べて溶接を多く使っており、外観からも雰囲気の違いを感じます。

リベットを多用した古い橋梁と比較すると、造りの違いが分かりやすい橋です。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁

 

なぜ1973年製なのか

磐田用水橋梁を見て、最初に疑問に感じたのが製作年でした。

二俣線の建設は戦前です。

では、なぜこの橋だけ1973年製なのでしょうか。

そもそも、二俣線建設時に磐田用水は存在していたのか。

確認した範囲では、磐田用水と二俣線の建設はほぼ同じ時期に進められていました。

二俣線がこの場所を通る時点で、磐田用水との交差部分については完成していたか、少なくとも正確なルートが決まっていたと考えられます。

そのため、二俣線開業時にも、この場所には何らかの橋梁が架けられていた可能性があります。

では、なぜ現在の橋が1973年製なのか。

「新寺谷用水誌」によると、昭和42年度から昭和57年度にかけて、船明ダム建設と合わせて磐田用水の近代化改修が行われています。

今回、磐田用水橋梁そのものの具体的な架け替え工事の日程までは確認できませんでした。

ただし、

  • 現橋の製作年が1973年
  • 同じ時期に磐田用水の大規模な近代化改修が行われている
  • 開業時から用水との交差地点だった可能性が高い

という点を考えると、磐田用水の改修や拡張に伴って橋梁が架け替えられた可能性が考えられます。

現時点では推定ですが、今後さらに資料を確認してみたいところです。

300mの間にある二つの時代

この二つの橋を一緒に見ると、とても面白いことに気づきます。

野辺橋梁は昭和13年。

磐田用水橋梁は1973年。

その差は35年ほどあります。

しかも、

鐡道省 → 日本国有鉄道

という、鉄道組織そのものの変化も銘板に表れています。

製作会社も、

川崎車輛株式會社 → 東海鋼材工業

と異なります。

さらに橋桁の造りを見ると、野辺橋梁では戦前の鋼橋らしい構造が残り、磐田用水橋梁では溶接を多用した後年の鋼橋を見ることができます。

たった300mほど歩くだけで、橋梁技術と鉄道の時代の違いを比べられる。

これは、この場所ならではの面白さです。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁

天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁

二俣線新設区間に多い鋼橋

今回歩いた豊岡駅周辺は、二俣線建設時に新しく線路が造られた区間です。

このあたりの橋梁を見ていると、比較的短い橋でも鋼橋が使われていることが多いように感じます。

野辺橋梁も支間9m80。

橋としてはかなり短い部類ですが、RCではなく鋼橋です。

同じ天浜線でも区間によって橋梁の構造には違いがあります。

なぜこの区間では短い橋にも鋼橋が多いのか。

現時点では理由までは確認できていませんが、複数の橋を記録していくと、区間ごとの設計思想の違いも見えてくるかもしれません。

天浜線沿線として見た魅力

現在の豊岡駅周辺には県道40号が通り、住宅も多くあります。

しかし、二俣線開通時の古地図を見ると、野辺橋梁や磐田用水橋梁の周辺には水田が広がっていたようです。

現在の街並みの中だけを見ると、小さな鉄橋として通り過ぎてしまいそうです。

しかし銘板を見れば、

「鐡道省 昭和十三年」

そして約300m先には、

「日本国有鉄道 1973年」

という文字があります。

周囲の景色が大きく変わっても、鉄道橋にはそれぞれの時代が残っています。

駅舎や大きな橋だけではなく、こうした小橋梁を見ていくことで、沿線の歴史の変化がより細かく見えてきます。

撮影スポットとしての見どころ

今回の二つの橋は、列車写真の撮影地というよりも、構造物の記録に向いた場所です。

特に撮っておきたいのは、

  • 橋梁全景
  • 銘板全体
  • 銘板文字のアップ
  • リベットや溶接部分
  • 桁の断面
  • 野辺橋梁と隣接するRC橋
  • 橋梁と水路・用水の位置関係

です。

野辺橋梁と磐田用水橋梁では製造年代が違うため、同じような角度で撮影して比較すると、その差が分かりやすくなります。

特に、リベット中心の古い橋と溶接を多用した後年の橋を並べると、時代の違いを写真でも表現できます。

天竜浜名湖鉄道 磐田用水橋梁

天竜浜名湖鉄道 野辺橋梁

歩いて感じたこと

今回の二つの橋は、どちらも非常に短い橋です。

それでも、近くで見て銘板を読むと印象が大きく変わりました。

野辺橋梁は鐡道省。

磐田用水橋梁は日本国有鉄道。

どちらの組織も、現在は存在しません。

しかし、その名前を刻んだ橋は、今も天浜線の列車を支えています。

特に面白かったのは、二つの橋がわずか300mほどしか離れていないことです。

一方は二俣線開業時。

もう一方は国鉄時代。

同じ線路を支える橋なのに、造られた時代も技術も違います。

小さな橋を一つずつ見ていくことで、天浜線そのものが何度も改修されながら現在まで使われてきたことが見えてきます。

散策時の注意点

橋梁の観察や撮影は、公道など安全に立ち入れる場所から行います。

銘板や構造を確認するために線路、鉄道用地、水路施設などへ入らないよう注意が必要です。

また、

  • 線路内へ立ち入らない
  • 鉄道用地へ入らない
  • 橋梁や銘板に触れない
  • 水路や用水路へ無理に近づかない
  • 私有地へ入らない
  • 道路交通を妨げない

といった点に注意します。

まとめ

豊岡駅近くにある野辺橋梁と磐田用水橋梁。

二つの橋の間隔は、わずか約300m。

しかし、その銘板には大きな時代の違いが残っています。

野辺橋梁は、

鐡道省
川崎車輛株式會社
昭和十三年

磐田用水橋梁は、

日本国有鉄道
東海鋼材工業
1973年

です。

一方は二俣線開業時。

もう一方は国鉄時代。

橋桁の構造も、リベットを多く使った戦前の橋と、溶接を多く使った1970年代の橋という違いがあります。

磐田用水橋梁が1973年に架け替えられた理由については確定できませんでしたが、同時期に行われていた磐田用水の近代化改修との関係は気になるところです。

小さく、普段なら見過ごしてしまいそうな二つの橋。

しかし銘板を読むと、その間にある35年という時間と、鐡道省から国鉄へという歴史の流れが見えてきます。

天浜線沿線には、こうした小さな構造物の中にも、鉄道の歴史が残っています。

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